かげのこ

スペイン暮らしの雑記。

「チーム」って難しい。。

人生は、どんなに1人で生きていこうとしても、何かしらの繋がりや関係が付き纏います。

グループやチーム活動は避けれない可能性が高い。(職場、学校、習い事など)

しかし、チームって難しくないですか。。。❓

僕は、チーム活動が苦手なのかもしれません。できなくはないけど苦手です。

ですが最近、チーム活動に対して、前向きに捉えられるよになったので書きます。

【自分のことだけ】

以前の僕は、結局のところ自分のことしか考えていませんでした。

チーム活動では様々な役割を与えられます。

納得いくものばかりでなく、不満が出ることはよくあります。

自分の望んだ役割の人と比べたり、アイツより僕の方が優れているとか、なんでアイツが僕より評価されているんだ、とか考えたり。

仕事ならば「上手くいくな」と、スポーツならば「試合に負けてしまえ」と。

どこかで願ってしまっていた自分がいます。

加えて、僕は非常に顔に出やすかった。自分は今、不機嫌ですよ。納得いってないですよ。と。周囲に察してもらいたいかのように振る舞っていました。

(「なんのために」と、今は思いますが、僕は幼かったのです)

しかし、これは僕だけの話ではないはず。なぜなら、そういう人をたくさん見てきたから。

それだけ、チームで活動する時に希望の役割になれないことが多い。

むしろそっちのが多いのに、皆、我慢して役割に徹している。

そのおかげで、チームが成り立っている。考えてみれば分かります。分かるんです。

言うのは簡単。でも、やるとなると、やはりチームやグループで活動するのは難しいことだと改めて思わされます。

【変化】

望む役割を任されなかった時、悔しさが生じるのは普通だと思います。しかし、それを態度に出したり、口に出しても、何も状況は好転しません。むしろ悪るい方向に転がる気がします。態度に出ちゃう、友達に話しちゃうの凄く分かります。そこで共感してもらえた時に一瞬、楽になるから。でも、それを続けてきた僕は成長できていません。これは経験してきた事実。

僕と仲間の1人は最近、希望の役割につけていません。(めっっっっちゃ悔しいいいいです!)

仲間は態度に凄くそれが出ています。勿論、彼の気持ちも分かります。でも、それをしても、希望の役割に近づける訳ではありません。むしろ、周囲の方の印象はどうでしょうか❓絶対に好印象ではない。考えれば、分かるんですが、昔の僕はそんなこと考える余裕がないくらいに、自分のことに精一杯で頭いっぱいだったんだと思います。

僕は最近、少し大人になれたのかもしれません。全力で与えられた役割を全うします。「悔しさ」がないと言えば嘘。勿論、あります。普通に悔しい。でも、なんでかなと考えても仕方ないですし、この役割を望んでいた方がいるかもしれない。そう考えられるようになってからは、不機嫌になっている場合じゃないし、希望を叶えるためにも、役割を全うするというところに辿り着きました。

苦手な役割なら、克服してやればいい。

評価が不平等と思うなら、それを覆す結果を出せばいい。

「今」やるべきことは、役割を全うし、自分を改善する。一生懸命になって楽しむ。

変わったのは矢印。

以前は、希望が叶わなかった原因を周囲に探しています。が、今は自分自身に探しています。この向きを変えただけで、無敵のメンタルを手にした気になっています。

「悔しさ」や「なんでなん」が消える訳ではないですが、それをごちゃごちゃ考えている暇がなくなった感じに近いかもしれません。

【まとめ】

チーム活動で全員の希望が叶うのは不可能に近くて、どこかで誰かが譲渡している。

それ故に、成り立っている、素敵なもので難しいものがチームだと感じます。

勿論、「悔しさ」は出ます。これは普通です。

これを自身の希望達成のための力に変えれるかが重要で。

僕はずっと無駄遣いをしていました。ごちゃごちゃと考えて、自分で嫌な気持ちになって、それを周囲にもきっと伝えてしまっていたと思います。

(当時はそんなつもりはありませんでしたが、今はそんな気がしています。申し訳ないです)

「悔しさをバネに」とはよく言いますが、それぐらいの可能性を「悔しさ」は秘めています。

与えられた役割を「くそっー」という思いも含めて全うする。

その先に、あなた自身の成長があり、チームの活動も素敵なものになる気がします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!